『大阪ラプソディ』
大阪ラプソディをご観劇、ご視聴くださった皆様、誠にありがとうございました。
何度も書いては消してを繰り返して、結局投稿できていなかった、ラプソディへの想いを今になって書いてみようかと思います。
匂いは色濃く人の記憶に残る、と言いますが、いただいた台本を読んでいる時、まさにそれを実感しました。
私は幼い頃に自宅が火事で半焼全損したことがあります。久代も空襲による火事で家を失くしており(久代はお兄ちゃん以外の家族も)、その状況を頭に浮かべながら台本を読んだ時に、真っ先に煤の、壁紙なのか、柱なのか、建築物が燃えた時の独特の匂いとともに当時の恐怖や焦りを、突然思い出しました。
幸い我が家は怪我人は出ず、私も小さかったので、普段思い出すことはほとんどなくなっていました。人間は忘れながら生きているので、仕方ないことですが、小さい頃の記憶がなくなっていくことが寂しかった私にとって、まだ忘れていなかったことが、こんなにはっきり思い出せる記憶があることが、少し嬉しくもありました。
もうひとつ、久代と私の奇跡的なリンクがありました。
大阪ラプソディのキーワードに”ハーモニカ”があり、久代はお姉ちゃんの形見のハーモニカを焼け跡で見つけ、お兄ちゃんを元気づけるために吹いてみるのですが、実は私の祖父もハーモニカが趣味で、自宅に火事をくぐり抜けてきた、遺品のハーモニカがあったのです。
これも寂しいことなのですが、私はあまり祖父の吹いていたハーモニカの音色は覚えていません。ですが、ハーモニカを吹いてくれていた姿はまだぼんやり思い出すことが出来ます。
私は久代が体験した戦争の本当の意味は何も知りませんが、私の中の感情の記憶と久代の感情が重なる部分がこんなにも多いなら、『久代の気持ちが少しわかるかもしれない、これを自然なままの私で表現したい。』と思い、お稽古していました。
お稽古をする中で、舞台での立ち方など、気持ち以外のことに気が散ってしまったり、自分とリンクした感情のはずなのに、自分の心が閉ざされたり、心にブレーキがかかる感覚になったり、考えても考えても上手くいかず、どうしたらいいのかと、堂々巡りをし続けていました。
そんな時に楊さんから、「好きなようにやったらいい。もっとやっていいよ。」と言っていただき、心に引っかかっていたおもりがスッと軽くなった感じがしました。
楊さんにそう言っていただけたことで、もう色んなことを頭でばかり考えず、思うままにやろうと踏ん切りがつき、どのくらい皆様にお伝えできたかわかりませんが、今の私の等身大の心を沢山込めて、久代を演じることが出来ました。
お声を掛けてくださった楊さん、沢山教えてくださり、導いてくださった上級生の方々には、感謝してもしきれません。 必死に食らいつきたいのですが遠く及ばず、先輩方の凄さも改めて痛感し、いつか、いつか私も!という思いがとても強くなりました。
今でも、もっとこうしたかった、こんな気持ちを表現したかった、など、悔しい思いも尽きませんが、今の時点での完全では無い、歪な心というのが、久代の心にも繋がっていればいいなと思います。
素晴らしいメンバーに入れていただけたこと、そして北林先生の書いてくださった『大阪ラプソディ』に出演させていただけたこと。本当に本当に幸せで、かけがえの無い時間だったなと思います。
そして何より、この作品を千穐楽まで見届けてくださった皆様。本当にありがとうございました。皆様の支えがあってこそ、私は大好きな舞台に立つことができました。
皆様からいただいた温かいお気持ちを、舞台でお返し出来るよう、精一杯努めて参ります。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。